青菜みたまいそ

鞍馬山から牛若丸が出まして、名を九郎判官。

左ポケットにケータイを。第1回

左ポケットにケータイを。

第1回 プロローグ 2007

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この現代社会におけるマストアイテムとなって久しいスマートフォン

気がつくとカメラは4つになり、AIが画像補正してくれたり、

RAMが6GBだ、いやこっちは10GBだ、来年はそれ以上だとか、

それに伴って本体価格は10万円を越えるのが当たり前になりつつあるとか…

 

驚くべき技術の日進月歩。

取り残されないようにしがみついているようで、

デジタルガジェット好きな人々はついつい最新機種に乗り換えたり。

 

youtube開封動画をチェック。

価格.comで点数をチェック。

twitterで不具合報告がないかチェック。

格安SIMで使えないか探ってみたりして。

 

そうやって進化を享受するのも楽しかったり。

ハズレを引いて悲しんだり。

一喜一憂。日進月歩。いざ進めやキッチン。

 

前書きが長くなったが、

この文章を書いている自分自身は、そこまで技術革新に敏感な人間ではない。

それでも料金を払いおわると、次のスマホが欲しくなる性分。

「実は来週新しいやつ届くんだー」と浮かれております。

 

さて。

携帯電話が世の中にでたのは、もう随分と昔の事になり、

自分が子供の頃から、それは身近にありました。

 

最初は父親が半分仕事用で。

その後は母親が父親との連絡用に。

 

それまで大人が使うものだった携帯電話が、自分のものになったのは2007年3月のこと。

当時は高校進学に合わせて携帯を買ってもらう風潮が(少なくともうちの地元には)ありました。

中学から持ってるやつはヒーロー扱い。そんな地方の話です。

 

ちなみにそれまでのコミュニケーションツールといえば、

パソコンのメールか直接電話するのがもっぱらで、

友人からこっそりPSPを譲ってもらって、ブラウザからメールをしていたことを思い出します。

(今は亡きライブドアメール。今でも一部の登録情報はこのアドレスが入ったまま。)

学校の連絡網もお家に電話してたし、修学旅行で先生との連絡用に首からかける携帯が貸し出されたときは、なんか緊張した。

携帯は未知のツールだった。そして憧れのツールだった。

 

まだ携帯電話が"ケータイ"だった時代。

"写真"と"写メ"が区別されていた時代。

 

そして、2007年3月。

人生最初のケータイが自分の手元へやってくる。

auのW51Hの白。

ここから私の人生は『左ポケットにケータイが入っている人生』へと変貌する。

それは青春のはじまりと、これからも続く物語。

 

これから自分が使ってきたケータイをメインに置いて、

自分の人生を振り返る文章を書いていきたいと思っています。

長くなると思いますが、ぜひお付き合いください。